2008年02月19日
楽天の前監督
すぐ辞めちゃいましたね。。
田尾 安志(たお やすし、1954年1月8日 - )は、元プロ野球選手(外野手)・監督・野球解説者。大阪府出身(香川県生まれ)。選手時代は中日ドラゴンズ、西武ライオンズ、阪神タイガースに所属。東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。
現役時代は俊足巧打の外野手として鳴らした。イチローが子供の頃に憧れた選手としても知られる。打席での構えでバットをグルグル回す"円月打法"から広角に打ち分け、安打製造機と呼ばれた。
左利き(左投左打・食事も左)だが、ペンは右手。また、滅多な事がない限り関西弁を殆ど使わない。(これは、中日と西武時代に標準語をマスターした為。)
夫人は歌手のMADAM REY(マダムレイ)。子供が3人(男2人、女1人)おり、歯科医師の田尾耕太郎は長男。次男は俳優として海外を目指し、長女はグラビア・雑誌・モデルとして活躍している。
現役時代
1972年、大阪府立泉尾高等学校から、当初は早稲田大学を志すも同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻へ進学する。泉尾高校の野球部は田尾の入部時先輩部員は5人しかいない弱小野球部で、キャッチボールで田尾の球が取れないほどのレベルだった。3年の夏には2回戦で近大付属に勝ち、当時もっとも激戦区だった大阪でベスト4になる。同志社大学時代は投手で4番、登板しない日は野手として試合出場することが多かった。大学2年時から3年連続で日米大学野球の日本代表に選出された。
1976年、ドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団。新人王を受賞。1982年、最多出塁。日本シリーズ初出場も西武に2勝4敗で敗れ、日本一ならず。
1985年、杉本正・大石友好両選手との交換トレードで西武ライオンズに移籍。3年連続の最多安打もマークするも、1度も首位打者になれなかった。日本シリーズに2度目の出場を果たすも、阪神に2勝4敗で敗れ、またも日本一ならず。このシリーズで、ノーアウト満塁の好機で初球に手を出しあっけなく凡打した事が当時の広岡達朗監督の逆鱗に触れ、翌年もフル出場させてもらえず放出の遠因とされる。1986年、日本シリーズ3度目の出場。広島を4勝3敗1分で下し、「三度目の正直」で初の日本一を経験する(これが選手として経験した唯一の日本一となった)。
1987年、吉竹春樹・前田耕司両選手との交換トレードにより学生時代からの念願だった阪神タイガースに移籍。先発出場の機会は減るもののここ一番の強さを発揮し、1988年には3本のサヨナラ本塁打(うち、巨人・鹿取義隆から2本)を打つなど活躍する。1991年、現役引退。
(以上、ウィキペディアより引用)
すごい打者だったんですね!
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